粗大ゴミ 親父の道具の整理 思い出 終活

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36 終活
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 昨日(2021年5月26日(水))は、月に1回の粗大ゴミの日でした、今回は、神(;妻)さんが5つの袋(42ℓ)で依頼をしました。先月も同様な処理をしましたが、亡き親父の道具の整理です。水道屋、運送業とやってましたので、その関係の道具や部品が沢山有ります。先月は、運送関係のシートやロープ、ジャッキを捨てましたが、今回は、ペンチやハンマー等の一般的な道具を捨てました。まだ、使用できると思いますが、同じ物が沢山有り、古いです。そして実際に使用する道具は限られてます。ドライバーやペンチ等があれば、十分です。私自身が持ってる道具類で十分対応出来ます。重い道具類なので、箱に入れて分散させました。

 親父は、何でも自分でする人間でした。自転車のパンク修理やセメントの施工、大工仕事など、後、当然の事として水道周り、ガス関係もやっていたと思います。その影響で、自転車のパンク修理は、自分でヤルものと思ってました。自転車屋には、持って行った事が有りません。後、満州からの帰還を経験してます。元々は、四国の愛媛県の田舎で育ちました。そこで、家が蚕で大儲けして、満州へ行ったそうです。其処で、敗戦を経験してます。五人兄弟の長男として、小さな兄弟を連れて戻ったそうです。その関係からか?兄弟みんなに尊敬されていました。戻ってからは、炭鉱で働いた様です。私が生まれた山口県小野田市(現:山陽小野田市)はには、炭鉱が有ります。旧本山炭鉱斜坑坑口で文化財になってる様です。コロナ禍が収束したら、ツーリングで行ってみたいです。

旧本山炭鉱斜坑坑口 - 山口県山陽小野田市公式ホームページ

 その後、鐵工所や水道屋、そして、自営でトラックの運転手をしてました。私の記憶では、その程度しか知りません。トラックに一緒に乗って色々と連れて行って貰いました。良い思い出です。しかし、これ以上は、断片的な記憶しか有りません。自分自身もそうなるのか?少し寂しいと思いました。現在、写真を整理して、家族アルバムを企画してます。その延長線で、自分史も作成しようと思いました。親父の道具を整理して、フト、そう思いました。終活は、捨てるだけでは無く、創造もあるのだとと気がつきました。まだまだ、落ち着けません。

 終活、大変ですが、頑張ります( ◠‿◠ )

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